物心ついたときから、わたしは彼と一緒にいた。
 泣き虫だった彼は、いつもわたしと一緒にいた。
 男の子なのに人見知りが激しくて、人一倍身体が弱かった。
 わたしは自然と彼を守るようになる。
 彼と一緒にいるのが当たり前だった日常は、あの日を境に変わった。
 彼はわたしから離れ、新たな居場所を見つける。

 籠の中の鳥はもういない

『かっちゃん、女の子はデリケートだから優しくしてね』
 泣いてばかりいた男の子に少女は声をかける。彼は泣いたまま小さく頷く。――彼女はあのときのことを思い出していた。エアコンの効いた車内、サングラスをかけたおじさんと帽子を深く被っている十代前半の少女がいる。彼女は助手席に座って手紙を眺めていた。その手紙には小学生らしい字で学校生活やカブトボーグについてのことが書かれてある。
「変わったわ……」
 少女はその手紙を見て溜息をつく。予想してた反応と違う。彼は成長した。――それだけで大きな喪失感を彼女は感じていた。本来なら喜ばしいはずなのに、彼女は酷く落ち込む。その様子を見た運転手は苦笑する。彼女は新鮮な空気を吸うために窓を開けた。懐かしい香りに彼女は気持ちを切り替える。
 文句なしの晴天のなか、一台の車がリュウセイたちの通う小学校に入ってきた。昼休憩中だった児童は何事かとざわめき窓際に寄る。校庭で遊んでいた児童は車の周りに集まる。
「おい、あれって巴じゃねーか!?」
「マジかよ!」
 車から出てきた人物は人気モデルの巴だった。彼女は現役中学生であり隣町の中学校に通っている。リュウセイとケンも窓際で人気モデルの突然の登場に瞳を輝かせていた。彼らは六時限目に提出する宿題を放置し、窓際から彼女の姿を見る。
「勝治ー、オマエも見るかー?」
「ぼくはパスするよ」
 読書をしたまま勝治は即答した。そのとき彼の頬が一瞬緩んだことにリュウセイとケンは気づかなかった。勝治は児童たちの声で騒がしいなか再び読書に集中する。クラスメイトの大半は窓際に固まっていた。校庭内もほかの教室でも大騒ぎになっている。
 巴はかつて通っていた学校へと足を踏み入れる。彼女は職員用玄関から校内に入った。サングラスをかけたおじさんはそれを確認すると、車を学校外へと走らせる。

 ざわめきが一向に収まらない五時限目、クラスの話題は巴のことで持ちきりだった。リュウセイとケンも彼女の話題で盛り上がっている。詳しい情報は分からないが、彼女はそこそこ強いボーガーらしい。匿名を使って公式大会に何度か出場した、と以前から巷で噂になっていた。
 そんな中、先生とともに話題の中心人物である巴が教室に入ってきた。彼女のイメージカラーにもなっている水色でまとめられた服装は、彼女の知的なキャラクターに合っていた。彼女は黒板に名前を書く。丸字になっていない綺麗な字だ。
「モデルの巴です。皆さんよろしくね。今日はテレビの収録に来ちゃいました」
 巴はリュウセイたちがいる教室にいる。クラスは一気にお祭り騒ぎとなった。先生も止めることなく騒ぎに参加する。カメラがスタンバイするなか五時限目は始まった。最初は質問から始め、あとは外で遊ぶという内容だった。
「巴ちゃんに質問ある人」
「はーい!!」
「西山」
 西山は自分自身に指を指して本当に質問していいのか問う。先生は肯く。それを確認した彼は元気良く巴に質問した。彼女は一つ一つ丁寧に児童からの質問に答える。質問タイムも終了に近づき最後の一回になる。まだ当たっていない児童が我先にとアピールした。
「板里」
「はい。どうしてこのクラスを選びましたか?」
 巴は意味深に笑うとしばらく黙りこくる。児童は目を輝かせながら彼女の回答を待つ。彼女は含み笑いをするとある児童のほうを向く。ある児童は校庭を眺めていた。
「ふふっ。実は知り合いがいるの。昔からの付き合いで、今でも手紙交換してるわ。ねーかっちゃん」
「巴さん!」
 学校では巴とかかわるつもりのなかった勝治は思わず席を立つ。彼女は狙いどおりとでも言うように目を細めた。その表情を見た彼は彼女の策略にはまったことを悟り頭を抱える。
「勝治!?」
 リュウセイは後ろを向き、彼の後ろの席にいる勝治に叫ぶ。勝治は気を取り直し、澄ました表情で巴を見た。リュウセイとケン、その他ほとんどの児童が呆然とする。先生までも動揺し、ますます先生としての役割を果たさなくなった。
「――相変わらずですね」
 勝治はそれだけを言うと椅子に座る。そして何事もなかったかのように再び外を眺めた。巴は彼の白けた反応に苦笑した。
「どういうことだよっ!」
 ケンは自分の席の机を叩きながら抗議する。長年一緒にいるのに勝治の口からそんな話題が一切出てこなかったことが、ケンにとって相当不満のようだった。リュウセイもケンと同じような状態になる。勝治は二人を無視した。それから授業が終わるまで集中できた児童はほとんどいない。

 巴はお忍びで松岡家に泊まることになっていた。彼女曰く明日までこの町にいるらしい。彼女は勝治の母と世間話をしたり、お風呂に入ったりと我が家にいるような行動をとる。二人もいつもと変わりない行動を取った。実際に彼女が泊まりに来ることは何度もあったからだ。
「かっちゃん!」
 彼女は勝治の部屋に入る。寝間着は泊まることを前提にしていたため自前だ。勝治はエレクトリカル・スピードワゴンのメンテナンスをしている最中だった。彼は愛機を机の上にそっと置く。そして、椅子の方向を彼女のいる向きに変える。
「巴さん、何かありました?」
「……疲れたのよ。だから休憩」
 巴は勝治のベッドに座り、手を伸ばす。彼女は乾いた笑みを浮かべる。手紙にも書かれていなかったが、学校に彼女が来たときから彼は違和感を感じていた。彼には彼女がテンションを無理矢理上げていたように見えた。
「そうですか」
「えぇ。かっちゃん、お風呂入ってきたら? すっきりするわよ」
「そうですね」

 翌日、巴は一人でロイドの店の前に立っていた。昨夜勝治から店の場所を教えてもらっていたのだ。サングラスをかけて帽子を深く被っているので傍から見たら誰か分からない。ましてや人気モデルの巴だとは誰も思わないだろう。店内ではリュウセイとケンが白熱したボーグバトルをしているところだった。
「こんにちは」
 店内に入ると巴はサングラスと帽子を取る。有名人の登場にロイドは目を丸くする。彼女はサングラスを鞄の中にしまい、帽子を近くの台に置く。ロイドは心の整理がつかないまま彼女に問う。
「ア、アナタは……!?」
「松岡巴です。ロイドさん、今日は貸し切りにしてくださいな」
 巴は財布から一万円札を一枚取り出す。それを見た瞬間ロイドは慌てて店を閉めた。リュウセイとケンはボーグバトルをまだしている。よっぽど熱中しているのか、彼女の存在に気づいてないようだ。彼女は放心状態のロイドに一万円札を渡し、話し掛ける。
「かっちゃんがいつもお世話になっています」
 彼女は小さくお辞儀をする。ロイドは首を横に振ると、いまだバトルに熱中しているリュウセイとケンを指す。ロイドは小さな声で彼女に伝えた。
「ワタシはただ見てるだけでーす。礼を言うのはあのコたちにでーすよー」
「ううん。あの二人もだけど貴方からも十分影響を受けてる」
「こんにちは、ロイドさん」
 そのとき、話の中心になっていた勝治が店内に入る。事前に巴がいることを知っていた彼は、いつものようにロイドに挨拶をする。
 リュウセイとケンはそこでようやく巴の存在を知った。ボーグバトルを中断し、彼女の所に集まる。勝治に見事スルーされた彼女は頬を膨らませた。機嫌を悪くした彼女は、彼にとって恥ずかしい過去を暴露する。
「昔はわたしにべったりだったのにその態度はないでしょう? わたしと出かけたときはそばから離れようとしなかったし、ちょっとでも離れるとすぐ泣くし……」
「と、巴さんっ、それは過去の話ですっ」
 勝治の顔が真っ赤になる。彼は反論しようと言葉を探すが頭がまわらず無言になった。珍しい光景にリュウセイとケン、ロイドは助け舟を出すことは一切しない。いつもの仕返しとでもいうかのように彼らはにやにやしてるだけだ。
「照れてるかっちゃん可愛い〜」
 巴は勝治に抱きつく。彼は慌てて彼女を引き離し、彼女に向かって文句を言った。彼女はお構いなしにそんな彼の頭を撫でる。普段滅多にお目にかかれない子供っぽい勝治を見て、見学組のロイドたちは思考停止状態になり口が開きっぱなしになる。すると彼女は、指を鳴らして四人にある提案をした。
「そうだ、ボーグバトルしない?」
 巴の急な切り替えにもはや誰もついて行けない。勝治までも急な提案に言葉を失くす。リュウセイが普段使わない頭をフル回転させて彼女に聞き返す。
「つ、強いのか?」
「これでもギャラクシーカップでいいところまで行ったのよ。リュウセイ君に負けちゃったけどね」
 巴は鞄の中からボーグケースを取り出し愛機――エレクトリカル・ドルフィンを手に持つ。彼女のボーグケースや機体にも水色が使われている。彼女が幼い頃から使用しているそれらは、ところどころ傷ついていたが長年使用している割に綺麗だった。
「仕方ねぇな」
 リュウセイはボーグケースからトムキャット・レッド・ビートルを取り出す。ロイドやケン、勝治は近くの椅子に座って二人のボーグバトルを見学しようとした。巴は三人を呼び止める。
「ちょっと待って。わたしとかっちゃん、リュウセイ君とケン君でタッグバトルはどう?」
「たまにーは違う形式で戦うのもありでーすねー」
 巴の提案にロイドも賛成して、タッグバトル形式でバトルをすることになった。ロイドの計らいにより臨時でチャージ台を二つ置いてもらう。互いに準備は整った。巴は勝治と目を合わせる。勝治は頷いた。そしてルールを宣言する。
「チャージ三回、フリーエントリー、ノーオプションタッグバトル」
 巴と勝治の声が重なる。リュウセイとケンもそれぞれのマシンを手に取る。
「チャージ三回、フリーエントリー、ノーオプションタッグバトル!」
 リュウセイとケンも負けじと声を合わせ、ルールを確認する。リュウセイは一気に試合を終わらせるつもりで勝負をすることにした。……日本ランキングでも上位の彼が負ける相手はほとんどいない。天野河リュウセイは“天才”ボーガーなのだ。
「チャージ、イン!」

「だからこそ言うわ。ギャラクシーカップの借り、ここで返す!」
 巴が宣言する。リュウセイは怯むことなく彼女の視線を受け止めた。そして彼女に対して堂々と反論する。その間もボーグバトルは続く。トムキャット・レッド・ビートルとエレクトリカル・ドルフィンの一騎打ちが続くなか、巴は押されていた。
「それはどうかな? 巴さんと戦った記憶ねぇし、オレが勝ったんだろ?」
「そうね」
「だったら、今回もオレが勝ーつ!」
 リュウセイは勝利宣言をする。巴は目を丸くしたが、直後不敵の笑いを浮かべた。リュウセイは自分たちのペアが有利と確信していた。しかし、彼女の表情を見て自分の考えに疑問を抱く。
「一対一で戦ってるのとわけが違うのよ。――かっちゃん!」
 巴の呼びかけに勝治は行動で応えた。エレクトリカル・スピードワゴンはキーオブザ・グッドテイストをの攻撃をかわしつつ上手く誘導する。そしてエレクトリカル・ドルフィンと鉢合わせのような状態になると、二機はきわどいタイミングでその場を離れトムキャット・レッドビートルとキーオブザ・グッドテイストが同士討ちになってしまった。
 ……リュウセイとケンは巴の戦術にすっかりはまっていた。一対一の勝負ではリュウセイが断トツで強い。しかし、タッグバトルは二人の力を合わせて勝負する。だからこそ彼女はタッグバトルを選んだのだ。
 最初巴の意図が読めなかった勝治は彼女の意図を汲み、途中からケンの意識を彼女に向けないようにした。ロイドはタッグバトルならではの戦術に感心する。勝負は、いつの間にか巴と勝治ペアが有利になる。
「これぞまーさに油断大敵でーす」
「リュウセイ!」
 ケンは慌ててトムキャット・レッドビートルから離れエレクトリカル・スピードワゴンとエレクトリカル・ドルフィンを追い駆ける。リュウセイも二機のカブトボーグを追い駆けた。巴と勝治は連携してリュウセイたちを惑わす。慣れない戦法にリュウセイとケンは戸惑いを隠しきれず、いつものバトルスタイルを維持できなくなっていた。そのあとも巴たちが有利な状況は続いた。
「これでとどめよ。ハザード・サンダーっ」
「デンジャラス・サンダー・アルティメットー!」
 二人の必殺技が炸裂する。巴は勝利を確信した。一方勝治は反撃に備える。“ここからが強い”リュウセイが何をしでかすか彼女たちには予想できない。
「嘘ッ……」
 巴はリングアウトしていないトムキャット・レッド・ビートルを見て絶句した。勝治は彼女の思考が復活するまでのあいだ時間稼ぎをする。リュウセイとケンは反撃を開始する。
「いっけぇ、オレのトムキャット・レッドビートルーっ!」
「キーオブザ・グッドテイスト、反撃だ!」
 勝治は二人の癖を思い出しながら攻撃を何とかかわす。今までの疲労も溜まりエレクトリカル・スピードワゴンの動きがわずかに鈍った。彼は巴の思考が一刻も早く回復することを願う。
「かっちゃん、ありがとう」
 ここでようやく巴の思考回路が復活した。巴のマシンが戦いの渦中に突入する。互いに相手の手の内は見せ合った。あとはどちらかのカブトボーグがリングアウトするのを待つだけだ。リュウセイとケンは最後の賭け――必殺技を出す。
「レッドアウト・ゴールデンマキシマム・バーニング!」
「チャイナクック・マーベラス・チャーハン!」
 リュウセイとケンの必殺技が発動する。巴と勝治は真っ向勝負を諦め、かわすことを選択した。
「(真っ向勝負はもう無理)」
「(二人が自滅してくれれば)」
 エレクトリカル・ドルフィンとエレクトリカル・スピードワゴンは相手の必殺技を極力避けようと試みる。その判断は弱虫と叩かれるかもしれないし、賢明な判断と褒められるかもしれない。……すべては勝つための“手段”なのだ。
「――……引き分けでーす!」
 ロイドが試合終了の合図を告げる。それまでリュウセイたちは動かなかった。否、動けなかった。彼らは停止した自分のカブトボーグを取る。勝敗は決まってないが、皆晴々とした表情を浮かべていた。
「……もー何よー」
 巴の携帯から着メロが流れ出し、渋々電話に出る。相手はマネージャーでもある彼女の父だった。彼女は電話越しに文句を言うが父はそれを受け流す。挙句の果てには説教まで食らった。自分ではどうにもできないと悟り、彼女は折れる。彼女は携帯をたたみ溜息をつき、両手を合わせリュウセイたちに詫びた。
「ごめんなさいね。……お仕事、入っちゃったみたい」
 勝治は表情を曇らせる。なんだかんだ言いつつも巴のことが好きなのだ。彼女は優しく微笑み、彼の頭を撫でる。それは姉が弟に向けるモノに似ていた。
「また来いよ」
「今度は俺ん家の店もよろしく」
「いつでも遊びに来てくださーいねー」
 リュウセイたちは笑顔で巴を見送る。彼女も笑顔で店を出た。流石人気モデル、彼女の笑顔に勝治以外は顔が赤くなった。勝治はそんな三人を見て溜息をつく。彼にいつものペースが戻った……ように見える。
「勝治ー、お前だって、」
「――ケン、なんか言った?」
捏造の捏造
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